ゆとり国語教室のブログ

愛知県犬山市にある小さな国語教室です。目標は塾のいらない子を育てることです。

目が近い

今日は目が近い子のおはなし。

視力の話ではないですよ。

 

勉強を教えていると

「あ、この子は目が近いな」

と感じることがあります。

どういうことかというと、情報に対して寄り過ぎなんです。

 

たとえば敬語についての授業をするとします。

尊敬語は相手を上げる言葉だよ。お店の店員さんの話し方をイメージしてね。おっしゃる・召し上がる・いらっしゃるなどがあるよ。

謙譲語は自分や身内につかうよ。申し上げるとかいただくとかがあるよ。武士っぽい言葉はだいたい謙譲語だよ。会社の外の人と話すときは上司であっても下げなきゃいけないよ・・・。

その子は私の話の内容をひとつひとつ一生懸命メモをとりながら聞いてくれます。

ところが後で確認すると、それが何の話だったかわかっていないのです。

申し上げるとかいらっしゃるとか、店員ぽいとか武士っぽいとか、細かいこともちゃんとノートに書かれているのに、どれが謙譲語でどれが尊敬語なのかわからない。

もっというと、そもそも敬語の話だという事も見失っているのです。

この状況を私は「目が近い」と言っています。

 

絵画を鑑賞するときに、塗りの厚みや色の重ね方、タッチなどを事細かに観察するくせに、いったい何が描かれているの見ていない・・・そんな状況を想像してもらえばいいかと思います。

要するに細いところに集中し過ぎて、物事を引いて見られないのです。

 

「えー、そんな人いるの?」

「能力的に低い子ってだけじゃないの?」

と思う方もいるかと思いますが、大人でも目が近い人、結構たくさんいます。

 

たとえば歴史を勉強している時に、登場人物の細かいエピソードや人間関係まで詳しくおさえているのに、どの時代の話なのかはわかっていない。

たとえばある作物の産地について、その土地の気候や土の質について詳しく話して聞かせてくれるのに、何県にあるのかチェックしそびれてる。

手順書のひとつひとつの作業の注意点を事細かにメモしているけれど、何のための手順なのか見失っている。

 

自分や身の回りに「あ、そういえば」って思い当たる人がいるんじゃないでしょうか? 

 

 

熱心に聞いたり勉強している時ほど、人は目が寄りやすくなります。

時々それを引いてみて全体像を確認するようにしましょう。

勉強中や日常会話で、時々意識するだけで、物事に対する理解度は大きくかわってきますよ。