短期講座で中学生や高校生の子に古文の指導をすることが時々あります。
古文を読めるようになりたい子にいつも言っている事。
なるべく辞書を使わないで自力で訳す訓練をしなさい
どんなに難しくても前後関係や言葉の響きで無理矢理に推理して読む。
とにかく自分なりに現代語に訳してみる。
この手順をすっとばして、いきなり古語辞典や単語帳を調べちゃう子はなかなか伸びません。
いつまでたっても自力で訳せません。
教室では音読の際によく古典を扱うので、私が毎回の授業でざっくりと解説をします。
ぼんやりと意味がわかった月末あたりに
「はい、じゃあ一行目から順番に現代語になおして」
と、小学生の子たちに無茶振りすることもあります。
小学生ではまったく習わないような内容だからこそ、学年に関係なく力の差がはっきり出ます。
すぐに適切な言葉にたどり着いてスラスラ訳す子、古文表現から抜け出せず、適切な現代語に置き換えられない子、習ってない・知らないから無理!とすぐ諦めようとする子・・・。
みんな暗号のような文を相手に、苦しみながら現代語訳します。
この試行錯誤が訓練です。
そしてどうしてもピッタリの言葉が見つからないとき、あってるかどうか確認したいときにはじめて辞書を出してくるのです。
これは現代語でも英語でも同じことです。
まず推理して、自分なりの考えを持つ。
それから調べる。
勉強の王道パターンです。
テレビなどで時々とりあげられる、国語辞典を付箋でいっぱいにしてる子たちを見て、私は時々心配になるのです。
身近に辞書を置いてたくさん調べるのは素敵なことです。
でも度がすぎて、知らない言葉が出たとたんに条件反射的に辞書に手が伸びるようになってしまう子もいるのではないでしょうか。
すぐ辞書を引くということは、すぐに答えを聞くのと同じことです。
なぞなぞの問題と同時に答えを見るのと一緒です。
であった言葉をあやふやなままにしないためにも、辞書を使うのは大切なことですが、それ以上にその前の「自分で考える」という一手間を忘れないでほしいなあと思います。