ゆとり国語教室のブログ

愛知県犬山市にある小さな国語教室です。目標は塾のいらない子を育てることです。

クソを知らない子どもたち

すみません、今日はちょっと汚い話です。

 

2月の音読は『播磨国風土記』の中におさめられている、二人の神様の競争のお話しを読んでもらいました。

「重い土の荷物を持っていくのと、うんこ我慢して行くのと、どっちが遠くまで行けるかな?」

という勝負をした結果、うんこを我慢していた神様が途中で耐えきれなくなって敗北するというしょうもないお話です。

 

本文には何度も何度も「クソ」という言葉が出てくるので、以前扱った時はどのクラスでも読んですぐに「うんこ!」「汚い!!」と大爆笑だったのですが、今年はちょっと違う反応。

 

そう、どうやら「クソ」が何を表す言葉なのかわからないようなのです。

なんか悪口が何回も出てくる

悔しいっていう言葉でしょ?

ガチとかすごくっていう意味じゃないの?

など、自分の思う意味を答えてくれたのですが、なかなか正解が出ません。

全クラスのうち半分以上の子が本来の「大便」という意味を知らずに使っていることが判明しました。

 

確かに最近は「クソをする」みたいな使用方法は減って、

「このクソ野郎が!」

「負けた、くそー!!」

「これ、クソおもしろいよ!」「あの子50m走クソ速い!」

みたいな使い方が多くなっています。

 

子どもたちが

「今日の給食クソうまかった!」

なんて言うのを聞いて、食べ物の話にクソとかどうなの??と思っていたのですが、そもそも意味を知らなかったのかと納得してしまいました。

 

うちの教室だけの話ですし、あたりまえのように本来の意味を知っている子もいたので全国的にどうなのかわかりませんが、いずれにしても通じる言葉は時代とともに変わって行くのだなーと実感した貴重な体験でした。

言いにくいことを伝える

大人でも言いにくいこと、いろいろありますよね。

 

それ、間違ってるよ。

私はこれキライ。

そういうの別に要らない。

似合ってないよ。

 

悪気はなくても思ったままに口にすれば相手を傷つけることになります。

かといって嘘をついて同調してしまうのも後で面倒になったりするし・・・。

 

というわけで、嘘をつかずに傷つけない工夫をいろいろ考えてもらいました。

たとえばある日登校してきた友達が、髪型を変えてきたんだけど…

 

 

似合うとか以前にそれちょんまげじゃん?

どういうこと?でも本人は気に入ってるみたいだし、傷つけたくない。

さすがに似合ってるとは言えないよ。

そんなとき、どう話そう??

こんなお題で意見を出し合いました。

 

自分の発言が相手にどう受け止められるかを考える習慣がまだあまりなかったようで、最初は用事があるふりをして逃げるとか、もう1回切って来るように言うなど迷走していましたが、だんだん色々なアイデアが出くるようになりました。

 

出てきた意見としては

〇良い・悪い どちらにも取れる表現

だいぶイメージ変わったね バッサリいったね! めずらしい髪型だなあ

 

〇評価とは違う内容へ誘導する

どこで切って来たの? どういうつもり(コンセプト)でこの髪型にしたの?

 

〇見たまま気がついた客観的情報で答える

へー、上の方は剃ってるんだ? お、ちょんまげだ

 

〇否定しすぎないように注意して正直な感想を伝える

たぶん前髪がある方が似合うと思うよ  ほかの子はわからないけどわたしは前の方が好きかなー

 

相手との関係性や状況によってふさわしい表現は違いますが、こうやっていろいろな場面や答え方を考える習慣を持っておくと、場に合わせた上手な受け答えができるようになると思います。

ぜひ遊び感覚でいろんな表現を考えてみてください。

お手紙週間

国語教室を開いてもうすぐ13年目ですが、最初の頃からずっと続けているのが毎月のお手紙。

授業でやった内容とその子の様子、そこから気付いたその子の長所や解き方の癖、今後の課題、それに対する見通しなど、だいたい原稿用紙で2~3枚くらい書きます。

けっこう長文のお手紙ですね。

お手紙のサンプル

 

全員バラバラの内容で書くので、お手紙週間は授業の記録とにらめっこ。

生徒ひとりひとりを思い浮かべてはのたうちまわりながら書いてます。

30人あまりの子の分を一週間ほどで一気に書くので、誤字も多くて国語教室の手紙としてはちょっと恥ずかしいミスもあったりします。

なんでこんな苦しい事やりはじめちゃったんだ!

と思ったりもしますが、生徒たちの記録としても使えるし、これのおかげでクラスとしてではなく個人に向き合う貴重な機会になるので、やっぱりやめられません。

 

長すぎて読む方も大変だろうなとは思いますが、楽しみにしていると言って下さる方もおられるので、今後もがんばって書いていきたいと思います。

年齢的に無理できなくなってきてるので、もうちょっと要領良く進められるように工夫してみます。

落書き禁止

もともとゆとり国語教室では、授業中にプリントなどに落書きしてもOK。
だからみんなナゾの生物を描いたり、挿絵を黒く塗りつぶしたり好きなようにやっています。

「授業中に絵なんか書いてちゃダメ!」

と言いたいところですが、

「ああ、あのドラゴンの絵の作品か」

「そういえば登場人物の顔ぬりつぶしたわ」

みたいに、案外それが記憶の定着につながる子もいるので。

 

とはいえそれは授業に支障がない範囲で。

落書きのせいで何度も話を聞き逃したり行動が遅れると

「はい、〇月まで落書き禁止」

とその子だけ行動が制限されます。

 

さらに何度も禁止になる子は

「絵を描きながら授業を聞くのに向いてないから、もう授業中に描いてはいけません。」

と、永久禁止令が出てしまいます。

 

 

むやみに禁止する必要はないけれど、それが原因で失敗するなら話は別です。

人によって絵を描きながらでも話が聞ける子と、どうしても絵の方に意識が向きすぎて授業が受けられなくなる子といるので、やってみて自分がどうなるのか試すにはいい機会だと思います。

 

音楽聞きながら勉強するのは向いてないとか、にぎやかな場所の方が集中できるとか、視界に余計なものが入るとダメとか。

自分に合ったスタイルは様々なので、自分がどんなタイプなのかこの教室で失敗しながら探って行きましょう。

仕事納め

1年くらい前に

「よし、もっとブログを更新しよう!」

と思っていたはずなのですが、あれから数ヶ月…またずいぶん放置してしまいました。

いろいろ構えすぎなんですよね。

もうちょっと気軽に更新して行こうと思います。

 

本日で今年の授業は最終日。

例年は1月4日から授業を始めていたのですが、いつも欠席が多いので今年は長めのお休みにしてみました。

冬休みをゆったりすごして、また元気に通って来て欲しいと思います。

2024年もまたよろしくお願いします。

智恵子抄殺人事件

前に音読で高村光太郎の『智恵子抄』におさめられている「レモン哀歌」を読みました。

高村光太郎の妻である智恵子は、長く精神を病んだ末、肺結核で亡くなります。

レモン哀歌はその死の瞬間を描いた詩です。

作品の背景や言葉の意味をあえて説明せずに

「どういう状況の詩だと思う?」

と尋ねたところ、ある子が

 

「ん-、どっちが殺したのかな・・・」

 

と言うのでびっくりしてしまいました。

もう少し詳しく話を聞いてみると、

相手を殺してレモンを奪ったんだけど、それをかじった時に頭がまともに戻って、

「なんてことをしてしまったんだ!!」

って後悔して泣いてるところ。

と。

 

意外すぎる読みに、これは自分の想像で話を作ってしまったのかなとも思ったのですが、どこからそう考えたのかを尋ねると、実はきちんと本文の言葉に注目して読んでくれていました。

死の床→誰かが亡くなった

私の手からとった→レモンを取った(奪った)

意識を正常にした→我に返った

青く澄んだ目涙の色

と捉えて、そこから自分なりに解釈したそうです。

 

まだ低学年クラスなので拾い読みになって文全体の解釈が粗くなっていますが、文中の語を根拠に考えようとしているところがとても良いです。

物語や詩などの文学的文章は、書かれていない部分を読み取るのが難しく、慣れていないと完全に自分の想像だけで内容をとらえようとします。

しかし、こういう根拠のある読み方ができる子は、読解の精度が上がるにつれて解釈もどんどん上達して行くと思います。

突然の殺人事件にびっくりしてしまいましたが、今後の成長が楽しみだなと感じさせてくれる解釈でした。

主観と客観

先月から一部のクラスで主観・客観の違いについて勉強しています。

主観

自分だけの見方

感想・意見

人によって違う

 

客観

みんなの見方

事実・データ

誰からでも同じ

 

たとえば

「Aくんは背が高いよ」

とは主観。

自分は高いと思ってそう伝えても、聞いた子が高いと思うかどうかはわかりません。

会ってみたら

「なんだ、そうでもないじゃん」

と思うこともあります。

正確に伝えたいのであれば、

〇〇ぐらい高い

身長〇cmくらい

のように比べる対象を明確にするなど、客観的なデータを伝えるべきです。

 

小学校で取り組む作文のほとんどは、がんばったこと、楽しかったこと、これからの目標など、「自分」を中心にしたものがほとんど。

このため、客観的な表現をするのが苦手な子が多いようです。

 

自分の思いや考えを知ってもらいたいのであれば主観、状況を伝えたり議論をしたいのであれば客観というように、目的に応じて上手に使い分けられるように練習して行きましょう。