ゆとり国語教室のブログ

愛知県犬山市にある小さな国語教室です。目標は塾のいらない子を育てることです。

習い事は単純なたし算にはならない話

これは以前別の場所でも書いた物ですが、習い事業界にいるものとしてこちらでも記しておきたいと思います。

私は教室に新規の生徒さんが来られるとき、できるだけ体験授業を受けることを進めますし、最初の1ヶ月でやめる場合は年間維持費もお返ししています。

また、年度の変わり目には

「そろそろやめようと思ってる人はお知らせしてね」

と促しています。

決して入ってほしくないわけではなく、通うかどうかを慎重に選んでほしいからです。

そう思うのは、以下のような理由があります。

 

 

 

みなさん子供に何かプラスになればと思って習い事に通わせていらっしゃいますが、習い事をするということは単純なたし算にはなりません。 
1つ何かを身につけることで、必ずその時間にできる何かを犠牲にしています。 

私が過去に見てきた生徒たちのうち、小さな頃からぎっしり習い事をしてきた子供達の多くは、無気力で省エネな解き方しかできなかったり、深く考える習慣がなくて習っていない問題は最初から諦めてしまう、などの傾向がみられます。(決して全員ではないです) 

だから成績はそこそこよくても、底力がなくて伸び悩んでしまうのです。

毎日忙しくすごすことでほどほどにこなすことを覚えたり、いつも何をするか決まっているから、やりたいことを見つけられないのかもしれません。


子供の自由な時間はただ遊ぶだけではなく、自分の欲求に向き合ったり、未来に思いをはせたり、その日のできごとを反芻したり、そういう貴重な時間なのです。 
また、どんなに教室でいろいろなことを習っても、生活の中で学ぶのと比べると質が劣ります。 
どんなものをどこで買ってくるのか、道路の決まり、お金の流れ、料理や掃除の仕方、そういうものを一緒に学ぶことこそ、自立して生きてゆくための土台になると思います。 

保護者の中には、自分に自信がなくて、専門家に子育てを託してしまっている方がかなり多いように思います。 
「私はダメだから先生おねがいします」 
と丸投げされるたびに悲しい気持ちになります。 
習い事で得るスキルは、生きてゆく上で役に立つかもしれませんが、なくても大丈夫なものばかりです。 
でも家庭で学ぶ「生活する能力」は、絶対に必要なものです。 
自分と向き合い「わたしはどんな人間か」をみつめる時間も大切なときです。 
だから習い事を決めるときは、 
「貴重な時間をつぶしても、通う意味のあるものか」 
「この子に必要なものか」 
ということを慎重になって考えてほしいなと思います。 


どうしてもあれこれやりたいお子さんには、値段や時間を見比べて、 
「この範囲内で選びなさい」 
と決めさせるといいと思います。 
そこで選択しようと考えることで、その子が自分を知るきっかけになります。 
やりたいものを全部やらせてもらってるうちは、本当の欲求、ひいては何者になりたいのかも気付かずに大人になってしまうとおもうのです。



追記

習い事をすることがプラスかマイナスか、そんな単純な話ではないです。
世の中には何かをやったから得られるものと、やらなかったから得られるものと両方あるのです。
人は何かを選ぶとき、選ばれなかった物を切り捨てています。
だから
「あれもできたらいいな、これもできたらステキ!」
という安易な気持ちで習い事を増やすのは避けてほしいなとおもいます。

一時的に下がる勇気

たまに保護者の方から

「この子、前よりできなくなったかも」

「勉強しないから退化してる」

という相談を受けることがあります。

実際にその子の様子を見てみると、それは退化ではなく、進化の途中であることがほとんどです。

しかし「できなくなってる」と思うことで、その進化を止めてしまうことがあります。

 

ある生徒は音読がとても正確で、ミスなく読めることにずっと自信を持っていました。

しかし「絶対にミスをしない」ということばかりに集中しすぎて、素早く読んだり意味を捉えながら読むということができない状態が長く続きました。

この子が最近ようやく「スピーディーに読めるようになろう!」と意識して練習をはじめたのです。

毎回パーフェクトだった音読テストは、当然以前よりミスが増えますから、その結果に本人は落ち込みます。

そのたびに

「読み方変えたんだね、すごくいいよ!!前より難しいことやってるんだからミスしても気にしないで!」

と声をかけて励ましています。

これを乗り越えればさらに高い質の「読む力」が手に入れられるはずです。

 

しかし、もしここで「前よりできなくなった」と言われてしまったらどうでしょう?

チャレンジしようという気持ちはしぼみ、また以前のようにミスしないことだけに固執した読みに戻ってしまうのではないでしょうか。

そうなってしまったらその子の成長は見込めません。

 

努力すればきちんと能力が伸びるというのは間違いではありませんが、時間がかかるものです。

 

たし算とひき算で急にミスが増えたと思ったら、実はかけ算やわり算を覚えてどのやり方をすればいいのか混乱しているところだった。

 

やるべきことをやらず、わがままを言うようになったと思ったら、実は以前は自分の気持ちを伝えられずずっと我慢していた。

成長やチャレンジの途中で能力が下がったように見えることはよくあります。

しかし一時的に下がる勇気を持たなければ次のステップに進むことはできません。

 

目先の点数や成果にばかり注目していると、大胆な挑戦ができず、成長する機会を逃しやすくなります。

もしお子さんが退化しているように見えたら、安易に「だめになってる」と思わずに、何が身に付こうとしているのか観察してみてください。

もしかしたら意外な成長に気が付くかもしれません。

また、結果が出せずにお子さんが落ち込んでいる時は、その挑戦を認め、励ましてあげてほしいと思います。

 

クラス編成中

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来年度のクラス編成の時期がやってきました。
卒業する子、ほかの習い事や塾のためにやめる子もいれば、新しく入る子や高学年クラスに上がる子など、何かと変化のあるこの季節。
1クラス4人程度の少人数でやっているので、定員オーバーしないように、みんなの都合と希望を聞いたり、相性を考えたり、頭をぐるぐるさせています。

生徒の名前を書いた付箋が、あっちへ行ったりこっちへ行ったり…。

ある程度確定したら、空席待ちをしていただいている皆さまに順番にご案内いたします。

長くお待たせしている方もいらして申し訳ないのですが、もう少しお待ちいただけるとありがたいです。

最低点は実力 最高点は可能性

読みのテストでも紙のテストでも、途中まで

「よし!一番を取るぞ!!」

「今までの最高得点をねらう!!」

と意気込んでいたのに、わからない問題があったりミスをして目標点に達しないと気付いた途端に、

「あ、もう無理だわ」

と、一気に戦意喪失して投げやりになってしまう子がいます。

 

こういった子たちがいつも注目しているのは「自分の最高得点」です。

「俺、前にこのテストで100点とった」

「あいつに勝ってクラスで1番になった」

と、一番良いときの成果を大切にしています。

だから記録に結びつかないテストには、早々と見切りをつけてしまうのです。

 

しかし、本当の実力は最低点にあらわれます

 

いつでも最高のコンディションでテストを受けられるわけではありません。

その時その時で様々な体調、状況で受けることになると思います。

「風邪引いてたから」

「忙しくて準備ができなくて・・・」

などと理由をならべても、結果が覆ったりはしません。

 

これは仕事やスポーツなど色々な場面でも言えることです。

たまに本職顔負けの作品を作る素人や、上位選手を打ち負かしてしまう新人などがいますが、それで素人や新人の方が実力が上とはいえません。

何度も繰り返せばやはり、本職や上位選手が好成績を残すことになると思います。

プロとして活躍する人たちは、いつでも安定した結果を出すという力を持っているからです。

 

どんなに調子が悪いときでも、たとえミスがあったとしても、最低このラインまでは得点を確保できる。

これがその人の実力です。

だからもし、思った結果が出なさそうなときでも、気を抜かずに少しでも点数を取れるようにあがいてほしいと思います。

本当の実力をつけるために、最低ラインを引き上げるということを意識してみましょう。

 

 

では最高点は意味がないのかというと、そういうことではありません。

最高点はその人の可能性だと考えてほしいと思います。

諸条件が揃って偶然出た点数とはいえ、今のその人がそれだけの点数を取る可能性を持っているということです。

まだ安定してその点を取ることはできなくても、もう少しの努力でそこまで到達できると思って、今後の学習の励みにしてほしいと思います。

 

ふだん行うテストは優劣を競うものではなく、基本的に自分の実力を知るためにするものです。

1回1回の点数が上がった下がったで一喜一憂するのではなく、冷静に分析して自分がどの位置にいるのかしっかり確認しましょう。

音読と楽譜

すっかりご無沙汰しておりますが、久々にブログを更新しようと思います。

 

以前から音読の奥深さについて記事にも書いてきましたが、今日も似たようなお話です。

突然ですがみなさん楽譜は読めますか?

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「読めるよ」

「読めないよ」

など、いろいろな方がいらっしゃると思いますが、ではどのくらいから「読める」といえるのでしょうか。

私は趣味で少しだけ音楽をやっているのですが、読譜はあまり得意ではありません。

「読める?」と尋ねられれば「あまり読めない」と答えます。

 

基礎的な知識は一応あります。

どこがドでどこがレ、シャープやフラットがどこについているか、音の長さがどのくらいかなど、おおむね知ってはいます。

でもすごく遅いんです。

この音はド、この音はレ、次は3拍ミの音・・・とひとつひとつたどれたからと言って、それですぐに演奏できるわけではありませんし、そんな調子で読譜したとしてもどんな曲なのかさっぱりわかりません。

読み方を知っていたとしても、これで「読める」とはとてもいえません。

 

音読でも同じことがいえます。

あなたは、お子さんは、生徒さんは、書かれている文章を「読めて」いますか?

文字を覚えたらもう読めると思ってる方もいらっしゃいますが、そのレベルはさまざまです。

一文字ずつ

「これは『あ』、これは『い』・・・」

とたどっていても、何が書かれているのか頭に入ってきませんよね。

 

私が考える音読の最高レベルは、初めて読む文章を正確にスラスラと読み上げつつ、場面に応じて抑揚をつけたり声の調子を変えたりできることです。

音楽家が初見の曲を弾きながら解釈して、感情をこめて演奏するのと同じくらいです。

このくらいのレベルで読めるようになれば、多少難解な文章でも一読すれば書かれている内容が頭に入ってくるので、読解問題などはかなり楽になります。

 

そのためには、一字ずつたどっていたのでは、当然間に合いません。

ある程度かたまりで何が書いてあるのか把握して、瞬時に発音できなくてはいけません。

判断が遅いと書いてある通りにたどれなくて、想像や雰囲気で補う子もいますが、そんなことをすれば元の文と微妙に違ってきます。

また、感情をこめてとなると、自分が声に出しながら、その先に書いてある文を目で追って、内容にあわせてどんな声の調子で読むのか決めておく必要があります。

 

学校の宿題で「音読」が出るところは多いと思いますが、3、4年生くらいになると「できてる」「もう読める」と言って適当に済ませている子も多くなってきます。

でも本当にもう上達の余地はないでしょうか?

今の「読める」は、いったいどのくらいのレベルなのか、一度考えてみてください。

毎日の音読だけで伸びる余地もまだまだあると思いますよ。

自己分析~できていることを認める~

年度末の恒例となっている「自己分析作文」、今年も生徒全員に取り組んでもらいました。

自己分析と言っても特別難しいことをするわけではありません。

①いま自分ができていること

②できていないこと

③なぜできていないのか(原因)

④何をしたらできるようになりそうか(対策)

の4つの項目を考え、それを文にします。

これは自分で主導権を握って学習をすすめて行けるようになるための練習です。

いつでもピッタリの先生、ピッタリの教材に恵まれるわけではありませんし、丁寧にみてもらうにしても限界があります。

だから誰かに頼らなくても自分で自分に合った学習プランを立てられるようにして行こう・・・というわけです。

 

これから良くなるための自己分析なので、どちらかと言えば、できていないことをどうするかを考える②③④に重きを置くのですが、生徒によっては①を考えることこそ大切だという場合もあります。

 

たとえばある子は、自分ができていないことや原因、対策もすぐに答えられたのに、

「自分ができてることが1つも思いつかない」

「なんにもできてない」

と、かなり長いこと頭を抱えていました。

こうやって「できること」に答えられない子は他にも数人います。

どの子も特別他の子に劣っているわけでなく、むしろ優秀な子が多いくらいです。

それなのに、

「できていてあたりまえ、できてなかったら問題」

と考え、できないところばかり気にかけるから、自分の長所に目を向ける機会がなかなか持てないのです。

また、謙虚がすぎて「この程度じゃまだまだだから、できているなんて言っちゃだめだ」と考えてしまっている子もいます。

こういった考えで学習に臨むと、「どうせ自分はだめだから」と投げやりになったり「できなかったらどうしよう」と消極的になってしまう可能性もあります。

 

難しく考えることはありません。

授業中静かに話を聞ける、宿題を毎日ちゃんとやれる、自分から挙手できる、呼ばれたら返事ができる。

どんなことでもいいのです。

できることははっきりと認めてあげましょう。

自分を認めてあげたら自信に繋がりますし、自信は次の挑戦への踏み台になります。

 

自己分析は自分を客観的にみつめる作業です。

楽観的にも悲観的にもなる必要はありません。

できることはできる、できないことはできない。

今の状態を冷静にみつめることで、自分がどんなことに興味があるのか、どんなやり方が向いているのか、考えてみましょう。

 

もちろん、大人にもおすすめの作業ですよ。

ぜひ機会をみつけてやってみてくださいね。

塾代はなにに使ってるの?

以前、授業で読んだ文章に、物の値段の決まり方について書かれたものがあり、それをきっかけにこの教室の授業料についての話になりました。

 

・原材料があるわけではないから、あまり高額にするつもりはない

・長く続けて色々な子を伸ばしたいから、自分に負担がかかりすぎる値段設定はしない

・家族に我慢をしてもらう部分も多いから、その穴埋めができる金額でなくてはいけない

・安くしすぎるとなんとなくで通わせる人が出てくる

・今払ってくれている人に失礼になるから、仲良しの子でも値引きはしない

 

などなど、ふだんは話さないような教室のウラ事情を生徒たちにはなしました。

生徒たちの反応がとてもおもしろかったので、会話の一部をここに書いておきます。

 

「えー、塾って何もお金払わなくてもできるじゃん?

いいな、すごいもうかる!!」

「そうだね、いいなと思ったら将来やったらいいんじゃない?でも教えられるようになるまでは勉強がんばらないとね。」

 

「勉強できれば塾の先生やれるの?」

「やることはできるけど、それで生活できるかどうかはわからないよ。お金払ってもここで習いたいと思ってもらわないといけないから。」

 

などなど、子どもたちの反応は様々。

中でもおもしろかったのは、

 

「先生、俺たちが払ったお金をまさか家のことにつかったりしてないよね?」

「つかってるに決まってるじゃん。おいしいもの食べに行ったりしてるよ。」

「ええっ、ずるい!!」

「だってこれが先生の仕事だよ。君たちのお父さんやお母さんが仕事でかせいだお金は家のことに使ってないの?」

「あ、そうか。」

 

この子のように、私がいただいているお月謝と、自分の親が働いて稼ぐお給料が同じものであるということを認識していなかった生徒が大勢いました。

払ったお金はすべて何かしら教室運営のために使われていると思っていたようです。

もちろん教室のために使う部分もありますが、仕事である以上は収入も見込んであります。

 

子どもたちはまだとても狭い世界の中にいます。

塾や学校は勉強を習いに行くところ。

お店は物を買いに行くところ。

レストランはごはんを食べに行くところ。

そこに教える人や売る人、料理を作る立場の人がいるということを案外意識していないのです。

 

こういう話をするのはあまり上品なことではないかもしれませんが、お金の流れを知ることは世の中を知ることでもあります。

仕組みがわかっていれば楽な儲け話がそうそう転がっていないこともわかりますし、立場の違う人たちへの思いやりも生まれてくると思います。

これからも機会があればぜひ子どもたちに、こういった話を伝えて行きたいと思っています。